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Series 5000
5000系列の誕生まで
5000系は昭和54年から「カステラ電車」の愛称で親しまれていた7800系を更新修繕した車両です。
5000系の前身である7800系列は、63形電車を修繕した7300系をベースとして昭和27年から東武鉄道が民鉄では初めて20m級の大型車として製造した形式です。昭和50年に32系、54系の3000系列への修繕が完了し、その後の対象として登場から22年経過したため7800系列が選ばれ、昭和54年から在籍していた162両が5000系列へと修繕されました。
 車体は当時製造されていた8000系と同一のものを新製し、足回り一式、マスコンなどを7800系から流用する形で製造されています。
5000系について
 5000系は昭和54年に更新第一陣として津覇車両で4連、2連がそれぞれ2編成、計12両が製造されました。
5000系は種車の7800系を生かす形で、Mc-T-M-Tc+Mc-Tcとなっています。修繕時にはパンタグラフ、ベンチレータ等が8000系冷房化で取り外されたの部品を流用しています。
同時期に製造されていた8000系は2両目にパンタグラフが搭載されているのに対し、5000系は3両目にパンタグラフが搭載されていたので異端的な存在となっていました。登場当初は伊勢崎線に配置されていたものの、全車両が東上線に転属します。
この転属に5000系はブレーキの方式が関係していました。5000系は73形と同様、車体側にブレーキしリンダのある車体ブレーキを採用しており、またブレーキ方式も7800系と同じく空気自動ブレーキを採用していました。
その後に登場した5050系は、ブレーキシリンダが台車側に移設され台車ブレーキとなり、またブレーキ方式も電磁直通(HSC)ブレーキとなったことから、ブレーキ方式の違いから併結ができず、5000系単体で運用が組まれていました。

 この問題は昭和60年に解消されることとなり、5050系同様ブレーキシリンダの台車側への移設と制動装置のHSC化を行い、軸受の密閉化も行われました。制御器では弱め界磁段の追加、冷房化改造(8000系と同様RPU-3002)が行われ、下枠交差形パンタグラフが増設され2基となり、5050系と共通運用で使用されるようになりました。冷房化に際し、MGが大型化されています。
 冷改後には東上線から野田線に転属するも、野田線に8000系が大量に転入したことから館林地区に転属、平成9年に運用離脱し館林駅構内に留置され、平成15年に解体処分されました。

なお、5000系登場時には3210形からの更新車が5000系を名乗っており、これらの車両は3050系、3070系に改番されました。
館林の側線に留置中の5102F(離脱後の姿)
汚い写真で申し訳ないですが、これしか写真がありませんでした^^;
5050系について
館林地区用の5050系
栃木地区用の4連の5050系
 5050系は昭和55年から5000系をベースとした車両で全車アルナ工機で製造されています。車体は8000系の後期車に合わせられており、ドアの抑えが金属枠抑えとなっています。
5000系の反省を生かしブレーキ方式を台車ブレーキに変更し、登場時から冷房装置(8000系と同じRPU-3002)が搭載され、5157Fからは電動行先表示器も設置されました。編成は5000系と異なりTc-M-M-TcとM車を編成中間に集約する配置となっています。
パンタグラフは8000系と同様に2号車のM5250形式にに設置され、3号車のM5350形式に引き通しを経由して給電する方式となっています。MGは下り方先頭車、CPは上り方先頭車に2基設置されています。

4連、2連とも12編成ずつ、計64両が製造され各線区に配置されるも、平成3年に3000系の押し出し目的に七光台検修区に転属。その後、30000系の増備で七光台検修区に8000系が玉突きで配置、5050系は新栃木検修区、館林検修区(当時)に転属しました。
 新栃木検修区に配置された2連の5050系(5556F〜5560F)は霜取り用パンタや空転防止用の砂まき装置が設置され、日光線の普通列車で使用されていました。4連については日光線、宇都宮線や野岩鉄道で幅広く使用されていましたが、速度面の差や4扉が故に暖房効果が薄いとの理由で日光、野岩線の普通列車が6050系に置き換えられ、宇都宮線などで使用されましたが、2連に関しては平成13年に、4連は宇都宮線で活躍を続けるも平成18年に離脱しました。

 館林検修区の5050系は2連、4連が在籍し、伊勢崎線(館林以北)、佐野線、小泉線、桐生線などで幅広く使用されており、2連も2+2で4連となって使用されていました。
平成14年に小泉線の一部区間がワンマンとなり、その後平成18年の館林地区列車のワンマン化のあおりを受け運用から離脱、館林駅構内に留置され、順に解体されています。
新栃木検修区の5050系も館林検修区の5050系と同様、館林駅構内に留置されていましたが、その後解体作業が完了しました。
新栃木検修区に在籍していた霜取りパンタグラフを増設した5050系の2連
渡瀬北留置線で解体待ちの5050系
5070系について
 5070系は長編成化に向け昭和59年から修繕された車両で、基本的には5050系に準じています。
変更点として全編成6連となっているほか、尾灯LED化、非常通報装置と非常通報灯の設置と助手席側にワイパーが増設されています。この他、コンプレッサーが新品のHB2000CAに変更され、両先頭車に設置されています。
MTの配置、MT比は8000系と同様、Tc-M-M-T-M-Tcの3M3Tとなっています。

 5171F〜5177Fの車内は5050系と同一ですが、昭和85年以降に更新された5178F以降は意匠が当時製造中だった10000系と同一のものになっており、天井の冷房吹き出し口も連続化され、化粧板もホワイトのものになっています。
作業を効率良く進めるため更新作業はアルナ、富士重、津覇が行い、昭和61年までに計13編成が更新されました。

 更新後は本線に3編成が配置され、残りはすべて野田線に配置されるものの、最終的には野田線に集結しました。
しかし、平成11年になると5171F〜5173Fが休車になり、部品を1800系通勤改造車に転出し、予備部品を取り外して解体されました。 その後も野田線には30000系投入で余剰となった8000系が投入され徐々に廃車が進行しました。
(平成15年に5174Fで火災事故があり、これが廃車速度を速めたとも言われています)
平成16年に野田線の春日部付近の複線化によるダイヤ改正を実施する際にスピードアップを実施することなり、力行性能の悪い5070系は追い出されるように廃車となりました。5183Fの先頭車2両は群馬県内で保存されています。
台車

TRH-58TB(T車用・5050系後期)

TRH-58MB(M車用・5050系後期)
TRS-52MB(5050系2連、砂撒管取り付け編成)
【車両紹介動画】 5070系
車輌概要
使用路線 -
配置検修区 -
所属編成数 全車両廃車済
製造業社名 アルナ工機、富士重工、津覇車輌
制御方式 抵抗制御
起動加速度 1.6km/h/s
減速度 3.7km/h/s(常用)
4.5km/h/s(非常)
歯数比
最高速度 95km/h(営業) 105km/h(設計)
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